TITLE : パンク・ロック

2011/04/22

パンク・ロックは、1970年代中頃に生まれたロックのスタイルの一つ。パンクと略称されることが多い。 アメリカのニューヨークのボヘミアン的なロック・シーンに産声を上げ、1976年にイギリスのロンドンでセックス・ピストルズがデビュー、 続いて同傾向のバンドが多数登場したことにより、ロックの一時代を画した。 はじめは反体制的、または左翼的なメッセージを歌うバンドが多かったが、次第に政治的な色彩は弱まっていった。 パンクの音楽性の一部はニュー・ウェイヴに引き継がれた。

もともと若者の音楽として1950年代に生まれたロックは、1970年代半ばになると、まるで古典芸術のように ティーンエイジャーたちが真似できないほど高度な演奏技術を要するようになっていた。 パンクは、このような状況への反発から生まれた。 1977年のロンドン・パンク・ムーブメントは短期間で終息し、入れ代わるようにポストパンク/ニュー・ウェイヴが台頭した。 この中で、オリジナル・パンクの根底にあった、肉体性の否定、無機質でユニ・セックスな性格、前衛性・実験精神などは、 スロッビング・グリッスル、ディス・ヒート、ワイヤーらが引き継いだ。一方、これらに反発するように台頭した エクスプロイテッド、GBH、ブリッツ、コックニー・リジェクツといったネオ・パンクやハードコア・パンク勢も アンダーグラウンド的に人気を集めた。モヒカン刈りや鋲ジャンといった、のちのパンク・ロックのファッション的な イメージは後者によって作られた。

ジョニー・ロットンがセックス・ピストルズを脱退した後、「自分は思想的アナーキーではなく音楽的アナーキーだった」 「自分は決して反キリスト者ではなく、むしろその対極の人間だった」と語ったように、パンク・ロックは、 そもそも政治的な主張を目的として生まれたものではなかった。ニューヨーク・パンクに顕著であるが、 社会革命よりむしろ音楽の革命を目指していた。 パンクは、1980年代のハードコア・パンク以降、「反権力・自主性」というアナキズム的な政治主張が押しだされるようになった。 DIY(Do It Yourself=自分達でやる)という言葉がしばしば標語として掲げられ、アーティストの自主性が重要視された。 代表例としては、半自給自足の共同生活を行ない、後のハードコア勢に多大な影響を与えたクラス、自らレーベル「ディスコード」 を立ち上げて一切のマネージメントを自ら受け持ったイアン・マッケイなどが挙げられる。しかしその後は、 反権力やDIY精神に関心をもたないパンクバンドが主流となっていく。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

TITLE : ヒップホップ

2011/04/21

ヒップホップは1970年代のアメリカ合衆国ニューヨークのブロンクス区で、 アフロ・アメリカンやカリビアン・アメリカン、ヒスパニック系の住民のコミュニティで行われていた ブロックパーティから生まれた文化。アフリカ・バンバータによる造語であり、「アフロ・アメリカンが、文化を取り入れ、 新しいスタイルを生み出すこと」をヒップホップ(hipもhopも弾ける、躍動するという意味)と呼称したのが始まりである。 これは1974年11月のことだったとされる。この事から、11月を「Hip Hop History Month」として祝う習慣がある。 単に「ヒップホップ」と言った場合、文化から派生したサンプリングや打ち込みを中心としたバックトラックに、 MCによるラップを乗せた音楽形態を特に指すことが一般化しているが、 これらは本来はヒップホップ・ミュージックあるいはラップ・ミュージックと呼ぶのが正しい。

ヒップホップにおいて、ラップ、DJ、ブレイクダンス、グラフィティは四大要素と呼ばれている。 これらはアメリカのストリートギャング文化とも関係があるといわれ、抗争を無血に終わらせるために、 銃や暴力の代わりとしてブレイクダンスやラップの優劣が争われたり、ギャングたちの縄張りの主張や情報交換の目的に、 一部のグラフィティが用いられていたと言われている。ラップ、DJ、ブレイクダンスは、フリースタイルバトルと呼ばれる 対決方式が存在する。現在は発祥地アメリカだけにとどまらず、ダンスのジャンルとしてブレイクダンスを踊ったり、 グラフィティをアートとしてとらえる動きもあるほか、ストリートカジュアルの様式としてファッション業界に影響を及ぼすなど、 多方面に於いて世界各国に広まっている。

1990年代頃から東海岸を代表するディディ、ノトーリアス・B.I.G.擁するバッド・ボーイ・エンターテインメントと、 西海岸を代表するスヌープ・ドッグ、2パックらが所属するデス・ロウ・レーベルとの対立が象徴的であるように、 両海岸のアーティストたちはお互いを牽制、威嚇、中傷し合った。それらの内容はラップの歌詞にも現れ、 ギャングやマフィアを巻き込んだ暴行、襲撃、発砲事件などに発展した。ヒップホップ史上最悪であるこの東西抗争は、 2パック、ノートリアス・B.I.G.という両海岸を代表する有能なMCを、ともに銃撃事件で失うことになる。 事態を重く見たドクター・ドレーが沈静化に努力した。

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TITLE : エレクトロ・ポップ

2011/04/20

エレクトロ・ポップは、シンセサイザーで作られた、1978年から1981年にかけて最初に流行したエレクトロニック・ ミュージックの一形式である。エレクトロ・ポップは、チャート指向のシンセポップが開拓した大量市場を基盤として生まれた。 多くのバンドは、1990年代と2000年代もエレクトロ・ポップの伝統を守り続けた。 エレクトロ・ポップは、冷たくロボット的で、電子音を強調するのが特徴であり、これによってシンセポップと区別される。 それは、当時の初期アナログシンセサイザーの制約によるところが大きい。また、近未来SFに縁取られた、 異星人的で無表情な歌詞も特徴とする。大部分のエレクトロ・ポップは、シンプルで覚えやすいフックとダンスビートの ポップ・ミュージックである。ただし、そのダンスビートはエレクトロ・ポップがインスパイアを与えた、 のちのエレクトロニック・ダンス・ミュージック─テクノ、ハウス、エレクトロクラッシュ、等の超シンプルなダンサビリティとは異なる。

多くの初期エレクトロ・ポップ・アーティストは英国人であり、デヴィッド・ボウイののアルバム、 『ヒーローズ』と『ロウ』の影響を受けた。ほかの大きな影響源は、ドイツのバンド、クラフトワークと 日本のバンド、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)である。また、いくつかのグループはニューヨークの シンセ・パンク・グループ、スーサイドや、クラウト・ロックのバンド、ノイ!、クラスター、カンからもインスピレーションを受けた。

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TITLE : リズム・アンド・ブルース

2011/04/19

1947年にビルボード誌のジェリー・ウェクスラーにより作り出された。ウェクスラーが、名付けるまでは、 アフリカン・アメリカンの音楽を「レイス・ミュージック」と呼び、ビルボード誌でも順位を「レイス・ミュージック・チャート」 として発表していた。しかし1947年の或る週末、「もう、こういう名前で呼ぶ時代ではないだろう」 「何か違う名前で呼ぼう、週末の間に皆で考えよう」とビルボード誌編集部で話が出た。次の火曜日にウェクスラーが 「リズム・アンド・ブルースっていうのはどう?」と提案した事から、これが採用された。 ロックンロールもこの音楽の影響により生まれたが、当初はリズム・アンド・ブルースとロックンロールの間に明確な区別はなかった。 その後、リズム・アンド・ブルースはソウルミュージックなどへ発展していった。

現在言われるリズム・アンド・ブルース(R&B)では、打ち込みを主体とした楽曲を用いた、 歌唱重視のジャンルである。1950~1960年代とは異なり、歌唱者を黒人に限定することなく、白人やその他の人種のアーティストでもR&Bの カテゴリーで括られることも珍しくない。1990年代後半からはデジタル機器を駆使したクラブ寄りなサウンドが主体と言えるが、 楽器の生演奏によって曲をつくるネオ・ソウルなどその幅は広い。既存の楽曲を取り入れて新しい楽曲を生み出す サンプリングやクラブ・ヒットを意識したリミックス、ヒップホップやレゲエなど他ジャンルとのクロスオーバーが顕著に見られ、 時代を問わず注目される音楽ジャンルであると言える。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)